津の女性整体ミノアカ
津市の整体は、女性整体師のからだ工房MINOAKAにおまかせ!あなたの不安を 笑顔(ハワイ語でMINOAKA)に変えていきます

儀式

お久しぶりです。

今日の久しぶりのブログは

私自身の超個人的内容です。

なので、

一切笑える内容ではありません。

サービス精神皆無の文章です。

ココロ軽く居たい方、

私にそこまで興味無い方は

下記文章は読まないほうがいいです。

ブログで、こんなことを書くのは

いかがなものか、

かなり迷いましたが

自分自身のけじめの意味もあります。

なので、100%自分の為のものです。

先日、

私の親友(Kちゃん)が他界しました。

Kちゃんは、私にとって

単なる親友ではなく

時には妹であり

時には優秀な部下だったこともあり

時には尊敬すべき仕事人であり

時には私には無い家庭人であったり

一緒に笑い、

一緒に泣き、

一緒に綺麗な景色を見、

一緒に美味しいものを食べ、

時には喧嘩もし、

長い歳月、共に感情を共有してきました。

私の人生において

過去にも未来にも

居て当然、なくてはならない存在の子です。

大きな大きな財産でした。

「姉妹」という関係が一番合ってます。

ご家族の方々、親戚の方々まで、

あかの他人である私を

まるで娘かのように接してくれ

毎年の大みそかや忘年会など、いろんな集まりには

家に招いてくれてました。

Kちゃんは「家族」そのものでした。

そのKちゃんは、最悪の形でこの世を去りました。

その1か月前、Kちゃんから珍しく夜中に電話がきました。

その時点で様子がおかしかったのは、すぐ解りました。

話をきいていく中で、なんとかその場は落ち着いたので電話を切り、

その後10日置きにメールをしてました。

返信は返ってきたり、来なかったり。

それでも、「大丈夫」という内容だったので

気になりつつも、私も「まあ、いいか」と、

特に慌てた対応はしてませんでした。

ある日の夕方

Kちゃんと共通の知り合いから留守電に伝言があり

「先生!大至急、大至急電話ください!」と。

そんな言われ方をされると

嫌でも「マズイ予感」はします。

仕事を終え、Kちゃんの自宅に駆けつけました。

そこには、すでに冷たくなったKちゃんが、横たわってました。

そこからの自分の状態は、あまりよく覚えてません。

何かしら、叫んでたようなことは、うっすら覚えています。

それでも、悲しみに浸る時間は無く、

翌日も、その翌日も、有難いことにお仕事をさせて頂き、

とにかく、「仕事しなくちゃ!」と言い聞かせ、

体を動かしていました。

告別式は、静かに密葬という形になり、

Kちゃんの肉体との最後の別れをしました。

そして、ご遺族の方々に、心からお詫びしました。

もちろん、私を責める人など、そこには居ません。

が、

助けられなかった自分を、

電話をしなかった自分を、

無理にでも会いに行かなかった氷のような自分を、

悔いました。

悔いても仕方ないけれど、そうするしかありませんでした。

その直後、私は名古屋のイベントにて、

フラの余興をしなくてはなりませんでした。

人生とは皮肉なものです。

それからの私は、

悔やむというよりも

Kちゃんという存在を失った喪失感で潰れてしまいそうでした。

何を見ても、どこに行っても

Kちゃんとの思い出で溢れています。

雑貨屋さんに立ち寄ると

「これ、あの子が好きそうだな」

梅が咲いてるのを見ると

「毎年、見に来てたな」

海の家の季節なった今

「毎年、春になったら海の家に行こう!ってのが合言葉だったな」

街で同じ車種の車をみると

居る訳ないのにガン見したり。

いつでもどこでも、、、声が聞こえてきます。

それでも、

Kちゃんが大切にしてきた友人には

知らせないといけない。

Kちゃんが会って喜ぶ人には、会いにきてもらいたい。

でも、ご遺族の意向として、あまり口外しないようとのことだったので

細心の注意を払いつつ、最低限の方々に伝えることにしました。

お父さん、お母さんの状態を

確認するためもあり、時々、自宅に通っています。

そんな作業をしていくうちに

私の中で、少しずつですが、

まるで階段を1段ずつ登るように

頭の中が整理されてきました。

昔から、仏教の世界では

49日までの間もそのあとも

数多く法要が行われます。

その儀式は、

故人のためのものではなく

残された人が、

段階を追って消化していくためのものなんですね。

数日経った昨日、

「しあわせのパン」という映画を観に行きました。

なんとなくそんな気はしてましたが

その映画の中には

まさに生前、Kちゃんが「将来はこんな感じに暮らしたい」と

言っていた理想が、詰まっていました。

もちろん、映画なので、奇麗事的な部分はありますが

それでも、その世界は「癒し」にあふれていました。

私は元々、「癒し」という言葉が、寒気がするほど嫌いです

セラピストなのに?と言われても、嫌なものは嫌でした。

いまでも

「ただ、甘やかすだけの癒し」は、片足も突っ込みたくないです。

癒しというのは、私にとって、結果的「おまけ」なのです。

しかし、

その映画の中には

決して押しつけることのない

これ見よがしでない

ごくごく自然に

「一歩足を踏み出す活力を与えられる癒し」

が、ありました。

悲しくないのに、涙が止まりませんでした。

私には、これが足らなかったんだと、気づきました。

たかが映画に、気づかされました。

なぜ、Kちゃんが

この1年間、苦しくても、相談どころか、連絡もたいしてしてこなかったのか

解った気がしました。

相談したくても、出来なかったんです。

私には、それらを受け止める深さが足りませんでした。

これまでの私は

なんとか活力を持ってもらおうと叱咤激励し、

「お尻をたたく」ようなやり方でした。

もちろん、それも必要なんですが

単純にそれを押し出すのは、あまりに、短絡的です。

でも、そういうやり方が好きでした。

好きな方法=求められてる方法 ではないんですね。

私は整体師になってから、

周りの人にはよく

「癒されるわ」とか「あったかいね」と

言われます。

でもそれは、私にとって

「治療家」として否定されているような気がして

とても複雑な思いでした。

自分で自分は理解出来てるようで出来てない事が多いもの。

私に合っていて

一番私が必要とする要素

周りの人は、以前からよく見えてたんですね。

それを私は「自分がやりやすい方法」を優先し

聞く耳を持ちませんでした。

もちろん、これからも

「ゴリゴリの女整体師」道を、突き進むつもりです。

それは変わりません。

しかし私は、

Kちゃんという、ものすごく大きな財産を失って

Kちゃんから、ものすごく大きなプレゼントを頂いた気がしています。

こんな程度のことを気づいただけにしては

あまりに代償が大きかったですが

もう、これからの自分の道に

迷いは無い思います。

ここまで書いてきて、

つくづく自分は勝手者、と思います。

結局、自分のことで終始してますよね。

でも、生きてる人は

前進するしかない。

当たり前のことだけど、

そうするしかない。

23年前、同じような方法で、友人を亡くしたことがあります。

その時は、「この子と(精神的に)一緒に生きていこう」と決めてました。

若かったんですね。

一緒には生きていけません。どんなに心で望んでも。

死んでしまったら、そこで終わるのです。

一緒に、なんて、生きてる人の単なる自己満足。

だから、生きてる私は、

周りの人と互いに繋がり

補いあい、

Kちゃんがくれた縁、すべての縁を大事にし、

自分の道を進んでいきます。

そして、

無駄と言われても、

Kちゃんが出来る限り早く天国に行けるよう

ずっと、ずっと祈り続けます。

祈ることしか、術がありませんから。

ここまで、勝手な文面を読んでくださった方々が

もしいらっしゃいましたら、

長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。

Kちゃんに想いを馳せつつ・・・・

これを、私にとっての、区切りの儀式の一つとします。

まだ、いくつかの儀式が待っていますが

その度に私は、更に前進出来るとおもいます。

ありがとうございました。

南 朱美

からだ工房MINOAKA
三重県津市柳山津興339-7
営業時間:10:00~18:00
最終受付:17時(初回の方は16時30分)
定休日:毎金曜日
研修などにより別途お休みを頂く事もございます。

完全予約制
公式Line(24時間以内に返信)



↑クリックかQRコードを読み込んでください。
お得な情報を受け取れます!
---【ミノアカ公式LINE】---

Lineをされてない方はお電話ください。
電話番号:080-4300-5157(10時〜18時) 施術中は電話に出られませんので、折り返し掛け直させて頂きます。

儀式

お久しぶりです。

今日の久しぶりのブログは

私自身の超個人的内容です。

なので、

一切笑える内容ではありません。

サービス精神皆無の文章です。

ココロ軽く居たい方、

私にそこまで興味無い方は

下記文章は読まないほうがいいです。

ブログで、こんなことを書くのは

いかがなものか、

かなり迷いましたが

自分自身のけじめの意味もあります。

なので、100%自分の為のものです。

先日、

私の親友(Kちゃん)が他界しました。

Kちゃんは、私にとって

単なる親友ではなく

時には妹であり

時には優秀な部下だったこともあり

時には尊敬すべき仕事人であり

時には私には無い家庭人であったり

一緒に笑い、

一緒に泣き、

一緒に綺麗な景色を見、

一緒に美味しいものを食べ、

時には喧嘩もし、

長い歳月、共に感情を共有してきました。

私の人生において

過去にも未来にも

居て当然、なくてはならない存在の子です。

大きな大きな財産でした。

「姉妹」という関係が一番合ってます。

ご家族の方々、親戚の方々まで、

あかの他人である私を

まるで娘かのように接してくれ

毎年の大みそかや忘年会など、いろんな集まりには

家に招いてくれてました。

Kちゃんは「家族」そのものでした。

そのKちゃんは、最悪の形でこの世を去りました。

その1か月前、Kちゃんから珍しく夜中に電話がきました。

その時点で様子がおかしかったのは、すぐ解りました。

話をきいていく中で、なんとかその場は落ち着いたので電話を切り、

その後10日置きにメールをしてました。

返信は返ってきたり、来なかったり。

それでも、「大丈夫」という内容だったので

気になりつつも、私も「まあ、いいか」と、

特に慌てた対応はしてませんでした。

ある日の夕方

Kちゃんと共通の知り合いから留守電に伝言があり

「先生!大至急、大至急電話ください!」と。

そんな言われ方をされると

嫌でも「マズイ予感」はします。

仕事を終え、Kちゃんの自宅に駆けつけました。

そこには、すでに冷たくなったKちゃんが、横たわってました。

そこからの自分の状態は、あまりよく覚えてません。

何かしら、叫んでたようなことは、うっすら覚えています。

それでも、悲しみに浸る時間は無く、

翌日も、その翌日も、有難いことにお仕事をさせて頂き、

とにかく、「仕事しなくちゃ!」と言い聞かせ、

体を動かしていました。

告別式は、静かに密葬という形になり、

Kちゃんの肉体との最後の別れをしました。

そして、ご遺族の方々に、心からお詫びしました。

もちろん、私を責める人など、そこには居ません。

が、

助けられなかった自分を、

電話をしなかった自分を、

無理にでも会いに行かなかった氷のような自分を、

悔いました。

悔いても仕方ないけれど、そうするしかありませんでした。

その直後、私は名古屋のイベントにて、

フラの余興をしなくてはなりませんでした。

人生とは皮肉なものです。

それからの私は、

悔やむというよりも

Kちゃんという存在を失った喪失感で潰れてしまいそうでした。

何を見ても、どこに行っても

Kちゃんとの思い出で溢れています。

雑貨屋さんに立ち寄ると

「これ、あの子が好きそうだな」

梅が咲いてるのを見ると

「毎年、見に来てたな」

海の家の季節なった今

「毎年、春になったら海の家に行こう!ってのが合言葉だったな」

街で同じ車種の車をみると

居る訳ないのにガン見したり。

いつでもどこでも、、、声が聞こえてきます。

それでも、

Kちゃんが大切にしてきた友人には

知らせないといけない。

Kちゃんが会って喜ぶ人には、会いにきてもらいたい。

でも、ご遺族の意向として、あまり口外しないようとのことだったので

細心の注意を払いつつ、最低限の方々に伝えることにしました。

お父さん、お母さんの状態を

確認するためもあり、時々、自宅に通っています。

そんな作業をしていくうちに

私の中で、少しずつですが、

まるで階段を1段ずつ登るように

頭の中が整理されてきました。

昔から、仏教の世界では

49日までの間もそのあとも

数多く法要が行われます。

その儀式は、

故人のためのものではなく

残された人が、

段階を追って消化していくためのものなんですね。

数日経った昨日、

「しあわせのパン」という映画を観に行きました。

なんとなくそんな気はしてましたが

その映画の中には

まさに生前、Kちゃんが「将来はこんな感じに暮らしたい」と

言っていた理想が、詰まっていました。

もちろん、映画なので、奇麗事的な部分はありますが

それでも、その世界は「癒し」にあふれていました。

私は元々、「癒し」という言葉が、寒気がするほど嫌いです

セラピストなのに?と言われても、嫌なものは嫌でした。

いまでも

「ただ、甘やかすだけの癒し」は、片足も突っ込みたくないです。

癒しというのは、私にとって、結果的「おまけ」なのです。

しかし、

その映画の中には

決して押しつけることのない

これ見よがしでない

ごくごく自然に

「一歩足を踏み出す活力を与えられる癒し」

が、ありました。

悲しくないのに、涙が止まりませんでした。

私には、これが足らなかったんだと、気づきました。

たかが映画に、気づかされました。

なぜ、Kちゃんが

この1年間、苦しくても、相談どころか、連絡もたいしてしてこなかったのか

解った気がしました。

相談したくても、出来なかったんです。

私には、それらを受け止める深さが足りませんでした。

これまでの私は

なんとか活力を持ってもらおうと叱咤激励し、

「お尻をたたく」ようなやり方でした。

もちろん、それも必要なんですが

単純にそれを押し出すのは、あまりに、短絡的です。

でも、そういうやり方が好きでした。

好きな方法=求められてる方法 ではないんですね。

私は整体師になってから、

周りの人にはよく

「癒されるわ」とか「あったかいね」と

言われます。

でもそれは、私にとって

「治療家」として否定されているような気がして

とても複雑な思いでした。

自分で自分は理解出来てるようで出来てない事が多いもの。

私に合っていて

一番私が必要とする要素

周りの人は、以前からよく見えてたんですね。

それを私は「自分がやりやすい方法」を優先し

聞く耳を持ちませんでした。

もちろん、これからも

「ゴリゴリの女整体師」道を、突き進むつもりです。

それは変わりません。

しかし私は、

Kちゃんという、ものすごく大きな財産を失って

Kちゃんから、ものすごく大きなプレゼントを頂いた気がしています。

こんな程度のことを気づいただけにしては

あまりに代償が大きかったですが

もう、これからの自分の道に

迷いは無い思います。

ここまで書いてきて、

つくづく自分は勝手者、と思います。

結局、自分のことで終始してますよね。

でも、生きてる人は

前進するしかない。

当たり前のことだけど、

そうするしかない。

23年前、同じような方法で、友人を亡くしたことがあります。

その時は、「この子と(精神的に)一緒に生きていこう」と決めてました。

若かったんですね。

一緒には生きていけません。どんなに心で望んでも。

死んでしまったら、そこで終わるのです。

一緒に、なんて、生きてる人の単なる自己満足。

だから、生きてる私は、

周りの人と互いに繋がり

補いあい、

Kちゃんがくれた縁、すべての縁を大事にし、

自分の道を進んでいきます。

そして、

無駄と言われても、

Kちゃんが出来る限り早く天国に行けるよう

ずっと、ずっと祈り続けます。

祈ることしか、術がありませんから。

ここまで、勝手な文面を読んでくださった方々が

もしいらっしゃいましたら、

長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。

Kちゃんに想いを馳せつつ・・・・

これを、私にとっての、区切りの儀式の一つとします。

まだ、いくつかの儀式が待っていますが

その度に私は、更に前進出来るとおもいます。

ありがとうございました。

南 朱美

からだ工房MINOAKA
三重県津市柳山津興339-7
営業時間:10:00~18:00
最終受付:17時(初回の方は16時30分)
定休日:毎金曜日
研修などにより別途お休みを頂く事もございます。

完全予約制
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